精神的幸福。

闘病

えんまです。入院して僕の頭の中でざわざわしていた何かが出て来ました。

今日は開会式なんですね。

1964東京オリンピック

前回のオリンピック僕は10歳でした。僕にとってはそんなにワクワクするものではなかったし、それよりデパートのおもちゃ売り場の方が魅力的でした。

両親がテレビで開会式を観ていたので一緒になってテレビを眺めていて、沢山の国の人たちがいろんな旗を振って競技場を行進していて、ちっちゃなテレビの中の出来事でした。

今思えば人気のない競技に学校から強制的に見学に行かされました。僕はバレーボールを観に行きました。駒沢競技場。チェコスロバキアとどこかの国の試合だったと思うけど、その程度の記憶。コートまでは客席から遠くて、ただ座って時間の過ぎるのを待っていました。

マラソンのアベベはカッコ良かったことを覚えています。甲州街道の沿道で沢山の人混みの隙間から走るランナーを覗いていました。表彰台のアベベは黒くすらっとした足の筋肉、精悍な顔で・・・あっもう一つ思い出した。米国の陸上の選手が表彰台で右手拳を力強く天に向けていた(これ東京オリンピックだったと思うんだけど)。

 オリンピックって人を輝かせる何かなんだなと感じました。

競技者が主役の祭典でしたね。

外国人が珍しかったあの頃、いろんな国のいろんな人がいるんだなと知って人類と云う大きなくくりで自分を観た興奮が記憶に残っています。

 今回は何を記憶に残せるのだろう。

助け合い。

敗戦後19年で自動車、首都高速、新幹線、東京タワー、東京の表の顔は凄まじい勢いで変化していった。高度成長の真っ只中で僕は育ちました。あの頃の幸福の定義は簡単だったように思います。それはみんなが共有出来た物質的幸福。自分の家に住み、家にお風呂があって、電化製品を揃えて、たまには週末に家族でデパートに行って、お好み食堂で食事をして、時にはケーキを買って帰る。みんなが同じ目標に向かって走っていたように思います。

そして『お互い様』と云う助け合う気持ちがあちこちで見られました。例えば、電車に座っている人が前に立っている人の重そうな荷物を「持ってあげましょう」って膝の上に乗っけたりね。今あんなことしたら泥棒って怪しまれちゃう。

お隣さんと味噌、醤油、米、の貸し借りなんて当たり前でね。

今は物質的幸福より精神的幸福を求めているようですね。Z世代の人たちのSNSを使ったグローバルな助け合いの行動はとても尊敬の念を持って見ています。

すごいです。

一事が万事。

今回のオリンピックの報道が耳に入るとすぐにOFFにしてしまいます。『おもてなし』と云う言葉が恥ずかしく感じられて。『一事が万事』と云う言葉が妙にピッタリで。

精神的幸福。

オリンピックは我々は一つのホモサピエンスと云う種だと感じる祭典だと思っていて、次のステージに上がりたいものです。

 「和を以て貴しとなす」 穏やかですよね。Peaceful.

  精神的幸福。spiritual welfare.

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