日常に黄色信号。
ピアノえんまです。
濾胞性リンパ腫が再発したようです。寛解状態だったのでホントは再発とは言わないそうですが・・・さぁ我が人生、試されてるぞー。
日常に慣れてきて。
2015年に悪性リンパ腫と宣告された日から死がより身近な存在になって生死のことをよく考えるようになりました。変に聞こえるかも知れないけど闘病中の方が命はしっかり自分自身として輝いていたように思っていて、2016年に2回目の化学療法を行ってから腫瘍が大人しくしてくれた5年の間に少しずつ普通の日常に慣れてきて謙虚さが薄らいできてこの社会は命輝いて生きていくには大変なところなんだなと、修行の場なんだなとつくづく思うわけです。
さぁ、どうする?
2ヶ月に一度の経過観察。3月sIL-2r(腫瘍マーカー)CRP(炎症反応)の数値が上がっていた。急遽CT検査をした。
その結果を待つ待合室。変な胸騒ぎ。いろんなこと考える。こんな時は良い事は考えないなぁ。
選択肢:同種移植?化学療法?このまま経過観察?
濾胞性リンパ腫は進行がゆっくりって云うからなぁ…
呼ばれた! 診察室に入る。主治医に挨拶をして椅子に座るとさっそくCT画像を見せられた。2019年の画像と見比べる。胃と腎臓の隙間に10mm位の影がポコポコと幾つか影が・・・腫瘍!?
渡されたグラフにはsIL-2r数値が急カーブを描いて上がっていた。濾胞性リンパ腫は進行がゆっくりと聞いていたけど・・・
CT画像結果:傍大動脈リンパ節、腸間膜、後腹膜脂肪織の濃度上昇が顕在化しておりリンパ腫再発も考えられます。
今後の心の準備として、と主治医が話してくれた。「新たに使えるようになった抗がん剤がある。身体にも負担が少ない。」とのこと。
化学療法かぁ・・・その手しかないのかなぁ・・・
これまでの経緯。
僕は化学療法を2015年と再発した2016年に受けていてその年には自家移植もしている。
自家移植は化学療法でがん細胞をバンバン叩いて造血幹細胞を抜き出して冷凍保存して、さらにがん細胞を叩いてね、もうガン細胞居ないでしょってなってから冷凍保存していた造血幹細胞を血管から身体に戻すのだけど当然白血球などの数値はとても低くなっている。感染症に気をつけながらの入院生活が始まる。そして徐々に白血球や赤血球、血小板の数値は上がってきて一旦退院を許されたけど貧血症状が続いて翌年2017年の正月早々再入院。骨髄が血液を作らない。万が一のために骨髄バンクに登録しておいたのだけど輸血の日々が6ヶ月、その間いろんな検査をしても原因が見つからない。「同種移植に向けて頑張りましょう」と云うことになって放射線、化学療法を行うことに決めました。その準備をしていたところがギリギリのところで血液を作り出していることが骨髄穿刺でわかった。ひょっとしたら自力で回復するかも「様子を見ましょう」ということになて2017年夏に退院しました。その後ガン細胞はじっとしていてくれたんだけど・・・今年になって急にジワジワと動き出してきたのだ。
僕の場合自覚症状がないのよ。それだけに怖いよね。
やっぱり化学療法?
年齢とQOLを考えると同種移植はないなぁ。死ぬかもしれないギャンブルだし、ドナーさんの骨髄が自分の一部になるまで移植後3〜5年は苦しむって言うし、僕の細胞はポテンシャル低くなっているし・・・
やっぱり新し化学療法に期待するしかないかな。
日常の中で「何かをすれば良くなると言うことはなくて、腫瘍の気まぐれに任せるしかないですね」「気を揉んでも仕様がないから笑って気を楽にして過ごしましょう」
って主治医は言ってくれたんだけど・・・
そうだよね。こころ穏やかに、のんびりと、平かに過ごすしかないよね。
「コロナのワクチンは今のうちに打っておいてね。治療に入ったら打てなくなるから」
最後に「頑張って」と言われたが。。。
死がまた近くにやってきた。
ーさぁ残りの人生どう生きる?ー そんな事を考えるようになった。
やれることをやればいい。腫瘍も僕の一部なのだから。共存だ!
With Lymphoma!
理想の旅立ち。
一番好きなタイミングで逝けたらいいなと云う想いがあります。憧れですね。
初春の陽だまりの中、少し冷たいそよ風と少し夏を感じる太陽と桜吹雪。好きな菜の花の香りに包まれて眠るように旅立ちたい。
いつからかこの季節になるとそんな思いが身体にまとわりつきます。贅沢ですね。憧れは憧れとして。
死ぬまで元気に生きましょう。
ではまた!
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