病気はメッセージ。

闘病

ピアノえんまです。

今日は3月5日、家の中では6割くらいは股関節のことを気にせずに生活出来るまでになりました。

今回の入院もほんとに濃いとても貴重な15日間でした。

この歳で日常が新鮮に思えるなんてありがたいことです。

靴下が自分で履ける時の喜び、素晴らしいです😊

骨頭壊死とリンパ腫の経験から見えて来たこと。

23日の人工股関節置き換え術はビッグイベントでした。それともうひとつのビッグイベントは2016年の完全無菌室の経験です。

この2つから体験したこと感じたことなどを書こうと思います。

濾胞性リンパ腫。

先ず感じたことは悪性リンパ腫で入院していた腫瘍内科の病棟と今回の整形外科の病棟の違いでした。痛み苦しみはそれぞれに大変で他と比べることはできないけれど腫瘍内科でお世話になった半無菌室の病棟はとても静かでした。4人部屋の病室は静かにうちに籠る痛み苦しみと闘っている患者さん達の無言の悲鳴が部屋を覆っていました。電気シェーバーなんか使えない。ブーンと云うノイズが体や心に響いて辛いのです。

2016年、自家移植が近くなると完全無菌室に移る。入り口にはビニールカーテンが張ってあってエアカーテンの音が24時間鳴っている。ベッドとトイレと冷蔵庫、そしてテレビ、死が直ぐそばに感じられた3週間でした。希望を持つどころか化学療法で粘膜がやられて数秒ごとにベッドから便座へ・・・毎秒毎秒この瞬間の状況(痛み、下痢、吐き気)を乗り切るのに人生の全てがありました。

「ごめんなさい」「早くこの辛さよ消えてください」「お願します」って。ただただこの辛さが消えてくれることだけを願う毎日でした。

  完全無菌室にて。

でもね人間ってすごいなって思ったのはそんな中でもなんとなく明日を待っているのね。それは生きたいっていう叫びなのかなぁ。死ぬまで生きなきゃって思った。

生きることを許されて。

僕はラッキーでした。自家移植から2017年7月まで骨髄が血を作らなかったんですね。輸血の日々が続きました。骨髄バンクからドナーさんが見つかっていたのでいよいよ同種移植決行かという直前、もう一度骨髄穿刺しましょうと云うことになりました。検査後カンファレンスルームに呼び出されてね。検査結果、造血幹細胞が増えている。僕の骨髄が自力で血を作り出す可能性が出て来たんです。移植は一旦取り止め。同種移植前の治療(抗がん剤治療、放射線治療)に入る3日前のことでした。

僕はあのカンファレンスルームのドアを開けて部屋に入った時のことは忘れられない。じわーって滲み出てくる静かな感覚。生きることを許されたんだっていう感覚。

「生きることを許して下さりありがとうございます」「残りの我が人生、感謝の恩返しの気持ちで過ごすことが出来ますように」朝起きて唱える言葉です。

人工股関節置換え術。

今回僕がお世話になった整形外科の病室には生きる希望がしっかりありました。もちろん生きる辛さは付いて回るのですがその病気を克服すれば普通に又は普通に近い生活に戻れる。そんな前向きな雰囲気がありました。

今回は6人部屋だったのですがカーテン越しに聞こえてくるそれぞれの人生を少しだけ感じ取れました。人間と云うとてつもなく大きなジグソーパズルの僕はワンピースなんだなぁって感じて、僅かですがそのジグゾーパズルを共有出来た感じがししました。

★ある方は透析から4時間くらい帰ってこない時もあったり、足指に包帯をしていたり、消灯になると過呼吸でパニックになったり、夜中に「ごめんなさい」「許してください」と、か細い声が聞こえて来たりしました。

痛いんですね。辛いんですね。

僕も痛くて苦しい時「ごめんなさい」「許してください」と言ってしまいます。

その患者さんは昼間になると元気に奥様とビデオ通話している。愛されているんだなぁ、家族があるって良いなと思いました。

★左隣りの方は手術後に感染症を起こして他の病院で数ヶ月のうちに何回も手術しているようでした。身体のどの部分でも開けて外気に触れさせると云うことは大変なリスクがあるものなんですね。僕が退院する前日の朝にその方は手術室へ向かい5時間くらいして病室に帰ってきました。麻酔による吐き気もなくしっかりと会話もできて強い人だなぁと感じました。

★右側の方は指が上手く使えない様でコーラの蓋が開けられず看護師さんに開けてもらっていました。コーラはそのまま開けっぱなしのようです。また歯ブラシに歯磨き粉を看護師さんにつけて貰っていました。放射線治療も始めているようでした。痛み止めの点滴が入ってるらしく薬を増量するボタンを押す音が頻繁にしていました。僕の痛み止めと同じ音がしていました。痛いのは疲れるから大変です。優しい穏やかな声の方でした。

手伝って貰いたい時に素直に誰かに手伝って貰う勇気。病院の中では当たり前かもしれませんが、世間ではなかなか弱味を出すのは難しいですね。。。

★窓側の右側に居る方は物静かな方のようで時々リハビリの先生と話しているのが聞こえてきます。ダイビングなどであちこち海外の海を潜ったアウトドア派の人の様でした。足裏の骨がでっぱているらしく特別なソールを作る相談をしていて退院の準備の様子でした。基礎の体力がある方は心も強いのかなと思いました。

★僕の向かいに居る方は僕と同じ日に同じ人工股関節の手術を受けました。以前は歩くと時折股関節に肉が挟まり激痛があったそうで今回手術を決断したそうです。その方とは入院、手術日、投薬、リハビリ、退院日、などほぼ同じ工程でした。6人部屋の真ん中は比較的早く退院出来る患者さんなのかなって思いました。

 術後麻酔から覚めてすぐ。

この歩行器でちょっとずつ歩く練習。

病気はメッセージを運んで。

ご一緒させて頂いた病室の皆さんは言葉使いが優しくてとても謙虚で穏やかで心温かい方々だと感じました。

何より部屋の空気が優しいんです。

病人という共通分母があるからでしょうか、同じ病室に居るだけでほんの少し人生の一欠片を共有できた思いがしました。

病気はとてもありがたいメッセージを運んできてくれると改めて感じました。

痛い苦しいだけで終わるのはもったいない。

僕らは試されている。人生は素晴らしいと言える僕らであるために。

最高の幸福。

生きるのは辛いことが多いですね。僕は辛いことがあると僕は試されている人生は修行だと考えています。

いくら贅沢をしても沢山のお金を持っていても亡くなる瞬間が鬼の形相では嫌ですよね。人生の締めくくりがどのようであるかは日々の出来事の捉え方にあるんじゃないかと思います。

最高の幸福とはこの世から旅立つ瞬間が穏やかで、感謝がいっぱいで、有難い人生だったなぁって深く息を吐いて逝けたらいなぁって思います。

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