「このまま死んでいいの?」という問いに、世界が怯える理由
こんにちは、ピアノえんまです。
6月25日の「氣功ピアノ倶楽部」体験会のチラシを置いてもらうために、会場の最寄駅周辺を歩きました。 一軒一軒、施設やお店を回りながら、僕はある「雰囲気」を感じていました。
「なんて不吉なことを」「そんな怖いことを」「私たちは今は生きているんだから、わざわざ水を差さなくても」……そんな拒絶の気配を感じていました。
そのとき、僕の中に深い問いが湧き上がってきました。
なぜ、人は「命には限りがある」という自然の摂理を受け入れられないのだろう。 なぜ、一番大切なことを、いつも「いつか」へと後回しにしてしまうのだろう。


死を見つめることは生を見つめること
「生死一如」という言葉があります。
ある時、『このまま死んでいいの?』この魂の叫びが「生きる」ことと真正面に向き合う痛烈な矢となって飛んできたのです。
11年前のあの日、僕は医師からこう告げられました。 「悪性リンパ腫、ステージ4です」 その言葉を突きつけられたとき、僕の世界の景色は一変しました。
「死」をリアルに感じたとき、初めて「生」が輝き出しました。 終わりを受け入れるからこそ、今、この一瞬が愛おしくなる。
しかし、今の社会は、その「死」を隠蔽し、まるで、この日常が永遠に続くかのような麻酔を打たれ、人々は忙しなく動き回り、刺激はエスカレートし、目先の消費や娯楽で「輝いて生きる」ことに目隠しをさせられている。恐怖を見せ、商品を買わせ、経済を回す。
そう感じるんです。
僕たちは「何のために生きているのか?」素朴な疑問に立ち返る時が来ている、と考えています。
誤解しないで下さいね。僕は街の人々を責めたいわけでも、恐怖を煽りたいわけでもない。 ただ、「死」を恐れて目を背ける人たちを無理に引っ張るのではなく、 「このままでいいのだろうか」 「外側を満たしても、なぜか心が満たされない」 そんな風に、世界のまやかしに「今、気づき始めている人」と、僕は出会いたい。その人たちと、この倶楽部を拓いていきたい。
僕が『このまま死んでいいの?』という問いの先に用意しているゴールは、決して重苦しいものではなく、その真逆です。
「積極的に・軽やかに生きる」です。

「本当にあなたの命を輝かせてくれているのは何でしょうか?」
2016年、2度目の抗がん剤治療を受けていたある朝、病院の庭の草花は天と地のエネルギーを頂いて今を生きている。それを観て僕は決めました。
「生きる」を選択しました。
それは、自然の一部として宇宙の氣(エネルギー)を取り入れて、今をどこまでも軽やかに生きること。 自分の内側を大いなる調和で満たし、日々を歓びで満たすこと。
そして、その先に訪れるいつかの瞬間を、恐れることなく、未練もなく、「あぁ、おもしろかった。楽しい人生をありがとう!」と軽やかに旅立つこと。
これこそが、生命を最期まで運ぶ本来の『生』の姿ではないかと感じているんです。
僕は今も、経過観察を続けながら生きています。今年6月の画像診断では、「腫瘍は縮小を維持し、明らかな再燃は認められていません。」
「治った」と言い切れるかどうかは、僕にもわかりません。それでも、「今日も、ここに在る」。その事実だけで、僕には十分すぎるほどの光でした。
『このまま死んでいいの?』という問いは、劇薬かもしれない。マイルドにした方が良いかもしれない。
けれど、その劇薬の先には、重たい鎧をすべて脱ぎ捨てて、宇宙の呼吸と一体になるような、最高の心地よさが待っています。
外側の装飾を脱ぎ捨てて、自分の命を、内側から本当に輝かせたいあなたへ。
僕はここで鍵盤に触れながら待っています。
「氣とピアノ」を使ったセッションは、リラックスして大自然の氣エネルギーを取り込んで心身が整ったり、感情や思考を自分と切り離して観察したり、今の感情をピアノの音に変換して、その音を弾いたり、聴いたりする、新しい感覚のセッションです。
感情や思考に振り回されることなく自らが舵を取り、
軽やかな人生を一緒に拓いていきませんか。ピアノえんま

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