幼児に学ぼうぜぃ.老人よ

ライフ

ピアノえんまこと遠藤です。

久しぶりにブログ書きます。

今日、書こうと思い立ったのは自分の老人としての生き方をアウトプットしてみようと思いました。自分のことを老人と思った事は一度もないけど、端から見れば立派な老人のレッテル張られちゃう。そんな世間の風に流されない様にと頭ん中を書き出してみますね。

幼児に学べ 老人よ

これは僕が幼児を観察して感じたことなんですね。

幼児は自分を遊ぶ

幼児は氣になったものであればなんでもいい。光る銀紙でも、葉っぱでも落ち葉でも石でも砂でも、手触りがよく自分の分身と感じられればものなんかなんでもいい。つまり自分を楽しみ自分を遊ぶ。五感を楽しみ味わっている。自分の可能性を、自分を試しているんですね。つまり、自分の手や足や味や心の動きが一番の遊び道具なんです。

道具と書いて気づいたんですが「具」とはその道のために備える備わる物だと。道を行くための利用するもの、僕はそう思った。

老人よ自分を遊べ

幼児は自分を楽しんでいるんです。

老人及び「人生の我慢比べ」から降りた人へ。僕は叫びたい。幼児のように自分を楽しもうと。何を遠慮が要るものか。馬耳東風。好きなことを楽しむんだ。ここからが人生だ。自分が主役の人生だ。主体的に生きるんだ。あるがままに。

注:あるがわがままでは無いのですよ。念のため。

快か不快か?

幼児、0歳児から3つまでかな…を観察していて見えたことの一つに、彼らは快か不快しかないと云うことです。自分にとって、それが心地良ければ笑うし、そうじゃなかったら泣く。それが彼らにとって何より大事で、それが自我に発展していくように思っているのです。

生きてるだけで、ストレスかかるんだから快か不快で計っても良いんじゃない、と思います。(まぁ必要なストレスもあるみたいですけどね)。

おひとりさま

結果、孤独になることもあるでしょう。でも、孤独をネガティブに考えないで残りの人生をより楽しいものにしていくよう努めるのです。修行です。考え方一つで良くも悪くもなる。

僕は大病(悪性リンパ腫)を経験して、一人暮らしの中、自分の内面と向き合い、見つめる時間がたくさんあることに僕は喜びを感謝を感じます。いろんなことから解放されて軽やかに生る。自分では結構軽やかに生きられてると思っているんですよ。

四殺

1人生まれて1人死んでいく。終活などやめてしまいなさい。

「四殺」崔子玉という賢人の座右の名があるんですね。この人は約1800年前の後漢時代の方だそうで・・・

・人は欲を持つことで自分を殺し

・財産を残すことで子孫を殺す

・政治を間違うと民を殺し

・学問教育を間違えると天下を殺す

正に膝を打つ言葉です。

人は125年生きられるそうですが、せめて南海トラフ地震の後の世の中を見てみたいと思います。人は変わることが出来るのか? 金の増やし方を子供に教えてどうすんですかね。

底の抜けた桶

「MORE、MORE、」「もっともっと」「お金と刺激」現代人は求めてるように見える。そう仕向けられてるように見える。不安、寂しさ、心を満たすものを外に求めていては底の抜けた桶のようにいくら水を入れても満たすことはできないでしょう。

もうここいらで重い荷物を捨てて身軽になってもいいんじゃないですかね。あと、何回桜を見られるかわかりませんが幼児のように自分をワクワクして楽しんで。

あー面白かったぁ・・・お先にって・・・「軽やかに人生を拓け」です。

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