昭和20年3月10日浅草区
12月8日にライブをやります。奇しくもその日は太平洋戦争開戦の日、そしてジョン・レノンが暗殺された日で、僕にとっては特別な日です。
隅田川沿いを歩いていると言問橋のすぐ近くに石碑があります。3.10の東京大空襲の犠牲者への鎮魂の碑です。この場所に沢山のご遺体が積み重ねられ火葬し埋葬されるまで置かれていた場所です。
その石碑へ手を合わせます。
川の匂いがしてきます。川面は陽の光を受けてキラキラと輝いています。
曲を作ろうと思いました。10月初めの頃の話です。それから何度も隅田川公園を歩き川を眺め図書館に行き当時のことを調べました。特に衝撃を与えてくれた本があります。
グラフィックレポート東京大空襲の全記録石川光陽,森田写真事務所編
写真と言葉で生々しくリアルに伝えてくれます。
3.10母の記憶
毎年3月10日になると思い出すことがあります。母がよく話してくれた惨劇を。
母は田端という下町に住んでいたんですが昭和20年になると東京への空襲は激しくなってきました。3月10日はとても激しく母の記憶にしっかりと刻み込まれています。未明、下町にB29が焼夷弾の雨を降らしました。かなりの低空飛行だったそうで、母は取るものも取らず、ただ毛布にお仏壇一式だけを包んで火のない方へ逃げようと外に出ました。
「キミちゃんそっちはダメだ火は追っかけてくるから風上へ逃げるんだ!」と近所の人が叫んで母とその人は火に向かって飛び込んで行きました。母は九死に一生を得ました。
3.10浅草の記憶
言問橋に火が走り灼熱地獄(図書館の資料より)
戦火の跡が生々しく残る、現在の言問橋。今も黒く焼きただれた当時の痕跡が随所に残っています。①の文より。
川面は陽の光でキラキラひかり言問橋もただそこにあります。
当時を思い浮かべると胸がつまります。
浅草寺のイチョウ、根本が激しく燃えた後が残っています。
3/10東京大空襲は広島長崎の原爆に匹敵する被害
死者10万人余り
負傷者11万人余り
家屋焼失約100万戸
浅草区の被害
死者11,090人
負傷者3,843人
計15,033
同戦前人口242,129人
焼失家屋31,200戸
同戦前56,586戸
図書館の資料より
3.10隅田川の歌
平和 穏やかな日々は当たり前ではないことを音楽で伝えたいと思います。
いつまでも戦後でありますように
River 作詞作曲えんどうせいいち(ピアノえんま)
wow …空は青く立ち
wow …黙り込んでるRiver
1.悲しくても川は流れてゆく
喜びさえも静かに流れゆく
3月10日の大空襲 浅草
街は火の海 真夜中を逃げ惑う
wow …空は青く立ち
wow …黙り込んでるRiver
2.言問橋は 灼熱の火だるま
逃げ場を失い 川に飛び込む親子
冷たい水に ひしめき合う人,人
泣き叫ぶ声 橋の下に響く
3. 人の心に 流れる隅田川
ひとりの老婆が 今日も手を合わせる
川面に光る 幾千もの星たち
沈黙の叫び 青い空に沁みる
wow …空は青く立ち
wow …黙り込んでるRiver
wow …
wow …黙り込んでるRiver
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