戦争を経験することなく平和の尊さを語り継がれますように
(グラフィックレポート)東京大空襲の全記録
石川光陽,森田写真事務所編集
筆者の方には申し訳ないと思いつつも抜粋させていただきました。
東京空襲
昭和17年4/18 8:20頃
ノースアメリカンB25
大井町松田電気大型爆弾2発投下
後、焼夷弾100発くらい投下
消防などの手により大火に至らず
王子区、小石川区、牛込区など
焼夷弾ばら撒き死者6名罹災者249名を出した
その後防空訓練盛んになる
昭和19年から空襲頻繁に
昭和20年正月B29帝都を襲う
大晦日から元旦にかけ3回
その後連日のように空襲
特に1/27は銀座数寄屋橋あたりは酷かったようだ
爆死
むしり取ったような首
ねじ切ったような手,足
血まみれの胴体が散乱
男女の判別も出来ない
いくらかの肉塊が転がっているといった方がわかり良い
爆風の威力
カエルでも叩きつけられたかのように血潮が飛び散り
3/10空前の皆殺し爆弾
土曜 晴 強風
B29約130機を主力に超低空で午前0:25ごろ江東区襲う。大火災
火の海は隅田川を越えて瞬く間に東京の東部一帯を火のるつぼと化した。
浅草区の被害
死者11,090人
負傷者3,843人
計15,033
同戦前人口242,129人
焼失家屋31,200戸
同戦前56,586戸
浅草は焦土と化し火はたけりたって強風を呼び、その強風は火を煽って多くの逃げ惑う人々を焼き殺していった。
猛火は横に唸りを発して街路を火焔放射器のように走りその火流の中を荷物や布団が大小の火の玉となって無数に転がってゆく
空を仰ぐとまだ執拗にB29が手の届きそうな低空で、嘲笑するかのように悠々と飛んでいる。
繰り返し繰り返し投弾したのだ。
火はまだ空をおおって流れる猛煙を真っ赤に染めていたがいつのまにか東の空がうす明るくなってきた。筆者は生きていたんだとはじめて感じた。
筆者は死体の多い言問橋を渡り、花川戸に行き両国橋の交番まで来たが筆者が乗り捨てておいたシボレーも完全に焼けていた。
関東大震災では焼けなかった浅草観音堂も焼けており東本願寺、浅草松屋も窓から白い煙が出ていた。
3/10東京大空襲は広島長崎の原爆に匹敵する被害
死者10万人余り
負傷者11万人余り
家屋焼失約100万戸
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以上、(グラフィックレポート)東京大空襲の全記録より、抜粋させていただきました。
僕の叔父さんも10代の若さで爆死です。爆弾が直撃でした。
戦争を経験することなく平和の尊さを語り継がれますように
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