あるがままに生きるってたいへん
前回のブログの続きのような感じです。
あるがままに生きるって無理、人社会じゃ生きにくいよって感じている人って多いと思うんですけど・・・
ちょっと僕のことを話しますね。
僕はどこかの会社で働いたことがありません。誰かに使われたこともないです。僕は音楽をやってて、ある有名なアイドルのバックをやったことがあるんですが、その時いつものように「これ、こうしたらどうですか?」ってアレンジャーの人に言ったことがあります。そうしたら「お前は何様だ!俺がアレンジャーなんだから口出しするな」ってみんなの前で怒られました。みんなで意見を出し合ってより良くなんて思ってたんですけどね。
一ヶ月のツアーを終えて次回もやるかどうか聞かれた時にマネージャーの方が「君はやらないと思うけど」って言われて「はい。すみません」ってお断りしました。
その反対にすげービッグな人のバックをやることになったんですが2.3回目のリハの時に「君はクビだ」と言われたこともあります。悔しかったけどしょうがない、僕の力量不足や自分の得意分野ではなかったのでしょうがない。
自分の得意を探して自分を大切に
無理に相手に合わせようとしたこともあるんですよ。でもストレスが大きくて十二指腸潰瘍になちゃって30日間の入院生活。そんなこともあって、このままじゃだめだ。これからどう生きていこうかって、それで『自分を大事に自分を出していこう』って決めました。
僕には音楽という授かり物があったのでホント音楽には助けられて昔の人は上手いこと言いますね。
「芸は身を助ける」「一芸に秀でる」とか「手に職を持つ」とか、「得意なこと」「好きなこと」「人がなんと言おうとどうしてもやりたいこと」が見つけられたら最高だなぁ
いくつになっても諦めない
60歳の時に血液のがん(濾胞性リンパ腫)になりました。『死』がとても身近になった時、氣付かされました。世間体だとか家族とかそれより自分が大事。思い切り自我が発動されました。
自分を大事にできれば他の人も大事にできるものね。
孤独を怖がらない
大病して『生きる』本当に生きるとは何か?突きつけられました。その時浮かんできた言葉が「ありのままの自分や環境を受け入れる」「自分を大切にする」「人と比べない」「自分に感謝」
孤独だからこそ見えないものが見えてくる。僕は孤独を寂しいものつまらないものとは捉えていなくて、むしろ深く生命と向き合える孤独は素晴らしいと感じています。
有難い
「有る」ということは難しいから有り難う(ありがとう)なんですね。病を越えて感謝の想いが以前より強くなりました。それも死と向き合えたお陰だと思っています。
「お陰様」って言いますよね。お陰、かげっていう見えないもの僕らを支えている陰の存在に感謝するっていう意味だと思っていて、それはおばあちゃんからそして母から教わりました。おばあちゃんは陰の存在に氣付いていたのだと思います。明治の女性は苦労しましたからね。
霊的な自分と社会的な自分
「自分が自分を嫌いになる」なんてことをよく聞きますが、この二つの自分って誰?って疑問に思ったことありませんか?
僕は霊的な自分と社会的な自分だと思っていて、この例で言うと「霊的な自分が社会に漂流している自分が嫌い」っていう風に捉えています。
社会は少し図々しいくらいでちょうど良い
僕は本当の自分霊的な自分を大切に生きていくためには人間社会と出入りすれば良いんじゃないかなって。やばいなと感じたら草花を見たり空を見上げたり鳥の声ムシの声を聞いたり、花鳥風月っていうやつですかね。地球と触れるみたいな。そうすると自分の世界に帰ってきた感じがします。
出入りを繰り返していくうちにね、社会を特別に意識しなくても良くなっていきました。社会を拠り所にしない、そんな感じですかね。もし自分を出して残念な結果になっても「死にはしない」「殺されはしない」。それぐらいちょっと図々しくなりました。
社会は少し図々しいくらいでちょうど良いみたいですよ。
吃音で赤面対人症の自分が今では自分を出せるようになった。楽に生きられるようになった。大したもんです(自画自賛w)。これも病氣のおかげです。そして氣功というものと出会えたからだと思っています。
できれば病氣に氣付かされる前に、病氣で希望が壊される前に素晴らしい人生にするためにそのためのメッセージを受け取れたらいいですものね。
ガンダム
僕はガンダムを見てまるで僕らだなって思いました。霊的な自分が社会的な自分というモビルスーツに乗り込んでこの世を生きている感じです。
サウナに入って「整いましたー」ってモビルスーツ脱いだ感じなんじゃないかな。
スマホ依存率が高いそうですね。時にはスマホの電源を切って自分と対話する時間を持ってみたらどうでしょう。静かに目を閉じている時間とか瞑想や内観してみるといいかなって思います。
あるがまま あるがわがまま
あるがままとあるがわがままは違いますよね。
「私は自分に素直になって人を殺めました」って変でしょ。
私たちを支えている宇宙の『氣』なるものに触れて命を全うしたいと思っています。
最後まで読んでいただき有り難うございます
氣功を受けてみたいと思う方はこちらからどうぞ
軽やかに生きましょう
コメント
自分自身を突き詰めて考えていくと分からない事ばかりですよね。
多分科学でも解明出来ていないない何かが生かしてくれているのだと私は思います。
いつかは分かる日が来るのでしょうか。
仏と言うのは多分その分からない何かを表現したものなのだと思います。
釈尊はその象徴ですが、気の毒だったと思います。
amitaさんコメントありがとうございました。悩ましいですよね。それに飲み込まれず軽やかに日々過ごしていけたらと思っています。「何かが生かしてくれている」僕もそう思います。