優しさに包まれて、それを人は慈悲と呼ぶ

ライフ

優しさに包まれて、それを人は慈悲と呼ぶ

遠藤です。

ちょっと不思議な体験をふたつ

先日ライブで使わせて頂いたギターをお借りした友人に返しに行った折、少し会話を楽しみました。音楽談義から世界情勢の話など四方山話をしていた時、窓の外で楓が風に揺れていました。

僕は風を観ながら何かに包まれている感じがしました。僕の宇宙を包み込んでいるもう一つの宇宙、友との語らいの中、安心の中に在りました。

ちょっと特別な感触でした。

それは見せることができないエネルギーです。

もう一つは、肌が触れ合うことの素晴らしさを実感したことがありました。

肌が触れ合うと瞬時に性(しょう)の循環が巡ります。とてつもなく心地良い安心の循環です。

ここでいう性(しょう)とは天から与えられた本質のような意味です。

比較すれば良い悪いが出てきますが,それ自体はただそこに在る路傍の石のように善悪はありません。

普段僕らは自分の構成要素で出来たフィルターでものを観ています。そのフィルターを取り外すことができれば楽だろうな、安心だろうな、と感じた瞬間がありました。

そこでなるほどと感じたのが子供です。母の手を探そうとする子供の手。手がなければ母の着ている裾を握る。勿論不安だからでしょうが、母と子の性(しょう)の循環が安心を招くのだと思いました。

二つの出来事を通して穏やかな風が僕の心に吹きました。

 

 

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