あるがままに生きる?

ライフ

あるがままに生きるっってたいへん?

前回のブログの続きのような感じです。

人社会において「ありのまま、あるがままに生きる」って難しいですかね

僕はどこかの会社で働いたことがありません。誰かに使われたことがないから簡単にあるがままになんて言えるんだと思われるでしょうね。でもね、そこが僕の運の良いところかもしれませんが血液のがんになりました。『死』がとても身近になった時、世間体だとか家族とかより自分のことを第一に考えます。思い切り自我が発動されました。

孤独を怖がらない

『生きる』本当に生きるとは何か?突きつけられました。出した答えが「ありのままの自分や環境を受け入れる」「自分を大切にする」「人と比べない」「自分を愛する」

孤独です。だからこそ見えないものが見えてくる。僕は孤独を寂しいものつまらないものとは捉えていなくて、むしろ深く生命と向き合える孤独は素晴らしいとさえ感じています。

できれば病氣なんかにならなくて軽やかに生きられるためのメッセージを受け取れたらいいですよね。

有難い

「有る」ということは難しいから有り難う(ありがとう)なんですね。
病を越えて感謝の想いが以前より強くなりました。それも死と向き合えたお陰だと思っています。

「お陰様」って言いますよね。お陰、かげっていう見えないもの僕らを支えている陰の存在に感謝するっていう意味だと思っていて、それはおばあちゃんからそして母から教わりました。おばあちゃんは陰の存在に氣付いていたのだと思います。明治の女性は苦労しましたからね。

霊的な自分と社会的な自分

「自分が自分を嫌いになる」なんてことをよく聞きますが、この二つの自分って誰?って疑問に思ったことありませんか?

僕は霊的な自分社会的な自分だと思っていて、この例で言うと「霊的な自分が社会に漂流している自分が嫌い」っていう風に捉えています。

僕は本当の自分霊的な自分を大切に生きていくためには人間社会と出入りすれば良いと考えました。傷つきそうだなと感じたら自分の世界に帰ります。草花を見たり空を見上げたり鳥の声ムシの声を聞いたり、花鳥風月っていうやつですかね。
でもね、それを繰り返していくうちにね、社会を特別に意識しなくても良くなっていきました。自分主体ですね。自分を出して残念な結果になっても「死にはしない」「殺されはしない」。それぐらいちょっと図々しくなりました。
そう、社会は少し図々しいくらいでちょうど良いみたいです。

吃音で赤面対人症の自分が今では自分を出せるようになった。楽に生きられるようになった。大したもんです(自画自賛)。これも病氣のおかげです。そして氣功というものと出会えたからだと思っています。

ガンダム

僕はガンダムを見てまるで僕らだなって思いました。霊的な自分が社会的な自分というモビルスーツに乗り込んでこの世を生きている感じです。

サウナに入って「整いましたー」ってモビルスーツ脱いだ感じなんじゃないかな。

スマホ依存率が高いそうですね。時にはスマホの電源を切って自分と対話する時間を持ってみたらどうでしょう。静かに目を閉じている時間とか瞑想や内観してみるといいかなって思います。

あるがまま あるがわがまま

あるがままとあるがわがままは違いますよね。
「私は自分に素直になって人を殺めました」って変でしょ。

私たちを支えている宇宙の『氣』なるものに触れて命を全うしたいと思っています。

最後まで読んでいただき有り難うございます

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