想像力を磨いて感情に振り回されず 穏やかに過ごせる音楽

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歌詞のない音楽を聴いて想像力を磨いてみませんか?

音楽をやっててよかったなって思うことは感性と想像力を磨いてくれるからです。雲になってみたり、風になってみたり、雨垂れのさみしさになっってみたり、視点が上に登ってく感じです。

上からの想像力が磨かれると感情を自分と切り離して観ることができるのでいいなって思います。感情に振り回されにくくなるのは穏やかに生きる一つだと思います。

「サウンド オブ サイレンス」

歌詞の意味もわからず勝手に「静寂の音」と訳していました。
曲を聴いて声や演奏も魅力的だし、タイトルだけでも惹きつけられる。好きな曲です。
言葉はわからなくても心が揺さぶられればそれで十分でした。

それはクラシックの影響かもしれません。コンチェルトやピアノ曲を聴いてメロディやハーモニー、サウンドが綺麗だったらそれだけで曲に入り込めて自由に絵が描けます。

歌詞よりメロディが先

日本語の曲でも歌詞は後回しです。

「可愛いベイビー」という曲、その歌詞に「トヨブノワ」という箇所があって、ぼくは「トヨブノワ」って何だろう?「トヨブ」?って何?みたいな。しばらく経ってからわかりました「と、呼ぶのは」でした。
そして、「カラッカシーラ」もわかりませんでした。

もう一つ、「イイッテイルイルー」この歌詞もメロディが先に入って来るので、言葉として捉えるのが難しいです。しばらくたってから「言っているいる お持ちなさいなー・・・」あぁそういうことかぁ。

そんな感じでメロディが先にインプットされるので歌詞というよりスキャットに聴こえるんですね。

メロディ変えたらわからない

ボブディランのライブに行ったら、何の曲だかさっぱりわからない。
次の日も行ったんですが、行く前にググってみたら「ボブディランはメロディを変えてしまうから事前に聴き込んで予習して行っても無駄」ってコメントがありました。なるほど・・・

有名な「風に吹かれて」を聴いても何の曲だかわからない。暫く経ってthe answer, my friend is blowin’ in the wind が聴き取れて、あぁあの曲をやってたんだぁって。ぼくはあの声であのメロディが聴きたかったので残念でしたけど、zepp tokyoだったので3mの距離で動いてる彼を見る的なミッションは達成されてよかったです。

歌詞が先?

聞くところによると西洋音楽を聴く人が少なくなったそうです。それは歌詞がわからないと「つまらない」だそうで、僕とは真逆の聴き方なんだなと思いました。

音だけの音楽だと想像力が発揮されないのかなぁ・・・

夢とか理想とか描きにくくならないかなぁ・・・

感情の奴隷にならず穏やかに

小説など言葉を追っていくのは映像が出てきて面白いのですが、リアルなので、具体的なイメージに留まる感じです。

音楽の世界はもっと自由な発想と自由な想像の広場で、抽象度が高くなる感じです。

冒頭にも書いたように想像力を磨くと感情を自分と切り離して俯瞰して観ることができるようになるので、感情に振り回されにくくなり穏やかに過ごせます。

歌詞のない音楽を聴くことをお勧めしたいと思いました。

自分にあった音楽を見つけてみてくださいね。

 

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