ピアノえんまの履歴書『中学3年編』

えんまです。

かなり久しぶりにピアノえんまの履歴書の続きを書きますね。

いい運。いい縁。音楽に助けられて。

中学3年になってギターがブームになって僕もフォークギターを買ってもらった。エレキギター=不良だった為フォークギターになった。同級生とグループを作って誰かのうちに集まって明星や平凡に載っている楽譜を見ながらわいわい言いながら歌ったなぁ。ギターで第一関門はコードFの押さえ方。指は痛いし音は出ないし、でもジャンジャカジャンジャカ弦をかき鳴らすのは初めての経験で面白かった。

ユニークな学友

学校の帰りに同級生が僕のことを家に誘ってくれた。初めてお邪魔する家は新鮮だった。洋楽のレコードを聴かせてくれた。PPMサイモンとガーファンクルブラザースフォア。などのLPを聴かせてくれた。映画「卒業」のパンフレットも見せてくれた。どれもカルチャーショックだ。びっくりしたのはサントリーオールドがボトルごと出てきたことだ。僕はなめただけでとても飲めたもんじゃなかった。彼は僕よりよっぽど大人だった。今思い出すとユニークな学友に囲まれて中学人生はそんなに悪くなかったんだなって思った。

電リクでよくかかってた。♫シューシューシュラロ♬

そうそうもう一つ思い出した。彼は2年の時に北海道から転校して来てその当時僕は知らなかったが網走番外地と云う映画が流行っていて北海道と云えば網走になっていた。本当は彼は旭川からの転校生だった。アバ(彼のあだ名で網走から取ったもの)が誕生日プレゼントをくれた。シングルレコードだ。シュプリームスの “Love child”とブレントンウッドの”Gimme little sign ” 初めて触れた音楽世界だったが残念ながらその当時の僕にはハマらなかったなぁ。加山雄三の方がハマってたかな。今考えるとアバは進んでいた。アバはスティーブマックイーンが好きだった。今思えば髪型も真似ていた。僕がスティーブマックイーンを知ったのはずいぶん後だ。僕は世間知らずと云うか、みんなのアンテナはビンビン立ってたんだな。

どちらもカッコイイね。

先生のアドバイス

進路を決めなければいけない時期になって担任の先生が声をかけてくれた。「音楽科がある高校があるが受けてみないか?」先生は僕が音楽の授業が始まる前にピアノを弾いて学友たちと楽しくしていたことを知っていたのだろう。僕は志望校もやりたいこともなくなんとなく居るだけの生徒だったので少し光が刺した感じがした。何も考えず「はい!」と返事をした。2つの高校があった。一つは都立、一つは私立、どちらでも良かった。僕はピアノのレッスンは受けたくなかったので声楽科を受けることにした。近所に芸大声楽科の先生がいらしたので半年位かな個人レッスンを受けた。ピアノの試験もあったので練習した。でも普通教科は全く勉強しなかった。

同じ高校の普通科を受けるアバと一緒に勉強しようと云うことになって僕の家に泊まりに来たが何を話していたんだか結局試験前日になっても全く勉強せずに試験を受けた。二人とも合格した。僕は二つ受けることになっていたが一つ受かってしまったのでもう一つは受験しなかった。アバとはそれっきりだ。

ここでも運は分かれる。

中学卒業の寄せ書きには医者になりたい。有名になりたいと書いた。医者は何かで誰かの役に立ちたいと思ったのだろう。有名になりたいは今で云う所の承認欲求なのだろう。

青春?

その当時は学園ドラマのはしり「青春とはなんだ?」があった。そのロケをうちの学校の校庭でやってたりしていた。

僕はいつも今が青春と思っているけど、今考えるとあれがみんなが云う所の“青春”だったのかもしれない。

今回は中学3年の記憶で終わってしまった。僕の中学時代はピアノレッスンも辞めちゃっったし勉強もしなかったし、”僕は誰?””何のために生きてるの?””何処から来て何処は行くの?”なんて心の内はモヤモヤだらけだったけど僕が思っていたより僕の中学人生は悪くなかったんだな。

僕は運がいい。

次回は高校生音楽科入学かな。

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