なに?「共感覚における内部表現の書き換え」って?
遠藤です。
僕は「共感覚における内部表現の書き換え」、言葉は知っていたけどよく理解できていませんでした。
氣功とは?の質問にはっきり答えられませんでした。これはやばいぞと氣功の定義について調べ直しました。
氣功の基礎中の基礎
まず氣功の基礎中の基礎を学び直そうとグーグルで読んだ幾つかの記事を簡単にまとめました。
氣功は中国の伝統的健康法。氣功は体内の氣を巡らせ、宇宙や地球からも氣を取り入れ心身の安定とバランスを調整します。氣とは生命エネルギー、宇宙エネルギーとみなされ、アルファ派(リラックス状態)シータ派(ウトウト状態)などの低い周波の波動の性格を持っています。
今は氣=情報エネルギーと定義されています。
現代氣功では氣功の定義を「共感覚における内部表現の書き換え」としています。いろんな現代氣功家のブログを読むとこの定義は必ずと言って良いほど出てきます。そしてこの定義は苫米地英人博士の理論から導き出された定義のようです。
氣を科学する時代ですね。
共感覚がないと氣功はできないの?
僕は国語力がないせいかこの文章の意味をはっきり把握出来ない。
まずつまづいたのは「〜における」です。
「〜における」とは、特別な条件を示す言葉と書いてありました。
『学術論文における「〜における」の言い換えには、次のようなものがあります。〜にあたって・〜に際し(て)・〜(の)折に等、特定の場所、事物、人物、事柄や特別な時や機会、場合を示す表現』
「内部表現」とは
内部表現とは脳内にある情報を表現する自我のことと捉えています。
自我は習慣、刷り込み、態度、信条、脳が重要としているもので形成されます。
上行性網様体賦活系:その人がもつ関心事に対して脳は情報を集めるのに鋭敏になる。
(様々な感覚→脳幹網様体→視床→大脳皮質に広く投射)
共感覚・はごろもを音にする
共感覚とは:例えば、音を色で感じられたり、色を味覚で感じられたり、文字を色で感じたりする一種の脳のエラーなんですって。
ぼくは情景が匂いや音で感じたりします。その逆もあります。
こんなことがありました。ある有名な俳優さんのレコーディングでぼくが「どんな感じで弾きましょう?」って聞いたら、彼が「そうだなぁ・・・はごろも!」って言うんですよ。「はごろもって羽衣ですか?」って聞き直したら、「そう」って。「僕は何パターンかピアノ弾いて、彼はその中の一つが氣に入ったらしく「それ!それでいこう」って。まさにお互いの共感覚の共演って感じで楽しかったです。
氣感も共感覚の一種
『氣感(氣を感じる能力)も共感覚の一種で、なんらかの情報を五感にマッピングして感じること』
この言葉に胸がスーっとしました。
氣を読んでいると体の違和感をピリピリした感じ、とか冷たい感じとか、重たい感じなど、インプットされた情報を変換しています。
氣感(氣を感じる能力)は育むことができます。
自分にとって重要であれば咀嚼し腑に落ちさせる
いろいろググってる中に氣功とは「共感覚における内部表現の書き換え」を
「共感覚による内部表現の書き換え」と言ってる人もいました。
いろいろ学んで辿り着いた自分のための定義です。
氣功とは「氣感を用いた自我の書き換え」
この一週間ばかり僕は氣功について理解を深めようと言葉に拘ってみました。学び直したらスッキリして体も楽になってきました。グーグル先生ありがとうございます。
自分がやっていることに自分なりの定義、理論を考えられて良かったです。
誰かが作った何かをそのまま受け入れられれば良いのですが、そうでない場合はそしてそれが自分にとって重要であれば咀嚼し腑に落ちさせることは自分を成長させると思いました。
氣功とは「共感覚における内部表現の書き換え」
シンプルな文にリズムがあって、意味が凝縮された一文だと改めて噛み締めました。
コメント
今晩は、
当にチューニングですね!音楽、気功、もしかしたら念仏、
また、それ以外。
コミュニケーションも。
そうありたいです。