今日は両親の家の菩提寺それぞれに年末の挨拶に行ってきました。
そんなこともあり、今日は今年を振り返ってみようと思います。
氣の修練は多方面から
僕が初めて谷山さん(慶氣エナジーラボ)から教わったのが仙道,内丹術でした。なので僕が行なっている氣功は仙道や内丹術を基にしています。
加えてインド哲学のチャクラと東洋医学の経穴、経絡、それらを開き氣を取り込み氣の通りを良くして心身のバランス、感情の安定、生活の質を良くしていきます。解剖学も臨場感を上げるため必要な学びです。
抽象度が上がる座学
最近は認知科学の苫米地英人博士の理論を取り入れて氣功の修練プラス理論を車の両輪のようになりたい自分ありたい心身に向かって進んでいます。
今年は人生で一番勉強しました。
書くこと手を動かすことが脳を刺激しているようです。
氣功は修練に理論が加わると氣の臨場感が高まり全体の抽象度が上がります。抽象度が上がると生きることがより軽やかになっていきます。
赤ちゃんをみてて思ったのですが、赤ちゃんの頃は社会において情報が少なく心地良いか不快かしかないんじゃないかと思いました。情報が増えてくるにつれ考え方が複雑になり心地良い生き方が見えずらくなります。それをシンプルにしていくことも氣功をする意義かなって思います。
手強い数学
僕の算数知識は小学3年で止まっています。
勉強していて一番頭を悩ませたのが「関数」です。
重要性(評価)関数、自我関数、部分関数、自己能力の自己評価関数、などこの関数はよく出てきます。
関数をわかるために数学の初歩を勉強しました。
面白いなと感じたのは、数学とは概念の世界を探求する学問。中でも、ユークリッドの(原論)に出てくる点や線はあるけど見せられない。数学の直線は幅がないので目に見えない存在でこの世には存在しない。数も概念で目には見えない存在。数字はシンボルで目に見える存在です。点もあるけど、見せられない(無限に小さくなる)。
これは無知な僕には氣持ち良いショックであり感動でした。
魅力的な言葉『あるけど見せられない』
この「あるけど見せられない」という言葉に僕は直感的に心躍りました。
自分はあるけど見せられない。
自分という定義や概念はあるけれど見せられない。
お釈迦様が説いた「縁起」の思想と結びつけて数学ってすごいと思いました。
だけど先程も書いたように小学3年のレベルでは確かに理解できず今は理論の上澄みを舐めてるだけの有様です。
音楽と氣功で人生を拓く
数学とは概念の世界を探求する学問。
氣功と通じるものがあるようです。
そして氣功と音楽も共有するものがあるようです。
今後の展望としては音楽と氣(情報エネルギー)でどなたかのお役に立てられれば幸いです。
以上今年を振り返って、でした。
コメント
今晩は、お元気そうで何よりです。
釈迦如来が教えを説いてほしいと梵天に請われて渋ったのが分かる気がします。
衆生が理解することが難しいというのが理由だったのです。
それでも説いたのは、分かる人がいるかもしれないから説かれたそうです。
ただ、今の仏教は何か違うような気がします。
私見ですが。